性格鬱人間の人生雑記

メンタルの話からゲームの話まで、様々なお話を。

自己紹介と小学校のお話

初めまして。

ここでは白裏(しろり)と呼んでください。

はてなブログを利用するのは初めてなので設定等に不備があると思います。

その時は教えてください。

 

 

何を書くか、悩んだならまず自己紹介ですね。

 

改めまして、私は白裏と申します。

現在20歳。もうすぐ無職三年生です。

 

趣味は喫煙、VAPE、音楽ゲームやゲーム全般、音楽鑑賞、歌、様々な物の創作、OD。

大体音楽関係です。

 

小学生の頃からのお話を少し。

割と普通の家庭に産み落とされ、何不自由なく生活していました。

小学3年生までは授業は聞くが漢字の練習や宿題を全くやらない、いわゆるクソガキでした。

 

当時の私は男子とのコミュニケーションが苦手で、いつも女子とばかり遊んでいました。

外でサッカーや鬼ごっこをする様な性格ではなく、静かにシールを集めたり、女の子らしい遊びの趣味をした子でした。

 

そんな性格だったので、1年上の上級生の糞共からナンパ王子とあだ名をつけられ、いじられる様になりました。仲の良い上級生からも。

ある種のいじめだったのかな、そのせいで、一番話しやすかった上級生の女の子と話せなくなり、少し息苦しさを感じていました。

 

今思い返しても、ぶん殴りたくなる程嫌いです。当時ゲームセンターで遊んでいると、一度も話したことの無い上級生から「お前○○小だろ?俺先輩だけど、お前のメダル少し分けてくれね?」等言われ、当時の私は「いや、買えばいいじゃん」と反論。

しかし先輩の言うことが聞けねえのか?という様な事を言われ、少量のメダルを強奪されました。

無限に腹が立つのでこの話はここまで。

 

小4でクソガキが悪化し、授業を受けず、床で寝そべったり、廊下で授業を受けろと言われ机を外に出された事を良い事に、授業時間中学校内を歩き回って本を読んだり、勝手に外に出てウサギ小屋で動物と遊んでいたり、そんなガキでした。

そんなある日、ふと学校に行きたくない、何か行くと心が辛いと、今でも何がきっかけか分からないのですが、とにかく登校が辛い、みんなといるのが辛い、学校が辛いと感じました。

 

当時両親は共働きで父親は朝早くに家を出るので朝は顔を合わせる事はありませんでした。母親は朝8時頃に家を出るので、丁度自分と同じ時間に家を出る事が多かったです。

 

母親は8時に家を出て行く事を知っていた私は、朝ご飯も食べずにひたすら泣き、登校を拒否しました。

これ以上構っていると仕事に遅刻してしまうと判断した母親は私を無視し仕事に行きました。

 

学校への連絡は電話でしました。

 

翌日。同じように泣き、登校を拒否。

1週間くらい経った頃でしょうか、母親がしびれを切らし「私も仕事で忙しいから、好きにしな」と頬を叩かれました。

 

その日を境に学校への連絡をしなくなりました。

 

泣きながらなんで叩かれたのか理解できず、自分の意見も理解されず、心の中で何か折れた気がしました。

 

今思うと、朝の忙しい時間に訳も分からず泣いて登校拒否しだす子供の相手なんてしていられませんよね。

 

別に友人がいなかった訳でもないのに、何か心が辛く、小学生ながら希死念慮もありました。当時一度自殺未遂をしたこともありました。

 

その後、何とか登校したは良い物の、授業は受けず、廊下の少し開けたホールの様な所で遊んでいました。

 

当時私は折り紙が好きで、ずっと折り紙で何かを作っていたり、紙パックで引き出しを作る等、工作をしていました。

 

 

そんなこんなで小学5年生になり、進級と共にクラスへ復帰。

 

そういえば、一年生の頃、やんちゃしていた3人が居ました。1年生の頃にやんちゃしていたメンバーは2,3,4年とクラスを分けられていたのですが、5年になり全員が同じクラスに、そして担任は新任。

もう授業どころではありませんでした。持ち込み禁止の物、ゲームやお菓子etc...

当然というべきか、学級崩壊を起こしてしまいました。

 

しかし、私は学級崩壊した無秩序なクラスの居心地がとても良く、一緒にゲームをしていたり、お菓子を食べたり漫画を読んで遊んでいました。

 

小学校の思い出はこの程度です。

 

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