自己紹介と中学校のお話 2
教師「なるほど、じゃあ上下関係のコミュニケーションは出来るんだな?
それに、友人も作れる。勉強も義務範囲内なら塾で受ける。
でもさ、人生に一回なんだよ?楽しみに来たら良いじゃん、
幼馴染のKさんとかMさんとかいるんだから。
授業が分かるなら寝ててもいいし、とにかく顔出しに来たら?」
私「話聞いてましたか?学校で出来る事の上位互換の事をしているんです。
今更戻る必要もありません。幼馴染達とは夜ゲームしながら通話したり、
たまにお互いの家に遊びいってます、だから学校であうメリットが無いです
貴方が今後何を行ってこようとも私は行かないです。根本的解決にならない
話は時間の無駄なので帰ってください」
記憶があってればこのようなやり取りがありました。
その後、中2の頃に不登校支援のハートフルスペースという所に行けば?という担任からのお誘い。
そこで遊んだのは人生で2番目に楽しかったです。
不登校だけだから葬式ムードかなぁとか思ってたらみんなテンションが高くて
いっしょにいるだけで疲れそうなメンバーの中心核になりました
中3、卒業遠足。
一応行かされたんですよね、京都
中2の終わり当たりから鬱病を発症。まだ病院に行って治療中の真っただ中。
それだけは行け、それだけは行けと色んな圧を感じしぶしぶ参加
結果から言いますと、二度と中学の奴許さないし永遠に嫌い。
思い出すだけで無性に腹が立つのでこれ以上は。
鬱病になってから数か月して別の医者に行く事に、
そこで告げられたのは、
「鬱病じゃないんだけど、症状は鬱、過去の話聞いた感じ、それは沈みやすい、鬱になりやすい性格だから、直らないです。うつ状態の症状の緩和とかは出来るけど、気分の波が下がりすぎると鬱になる。君の場合、その鬱の時間が長い、先天性寄りの鬱っぽい性格なんじゃないかな」
なので性格鬱病、という訳の分からない事になってしまいました。
薬でどうにか治る物じゃない、一生その気持ちの波、鬱の波と戦って生きて行かなきゃだね。って
次の診察の時何話してたか気になって先生に聞いたんだけど
「鬱病の人が自殺する時って、部屋の掃除して、使ってた物、例えばパソコンとかゲームとか、趣味が同じ人なら趣味の物とか。
全部なくなった状態で死ぬんです。」
「ただ彼(私)の場合、
そういった前触れ無しで急に死にたくなって死ぬ、って事になりかねません。
だから気持ちの波に寄り添うことも大事ですか、本人は親の過干渉には反対でした。
なので、いつも通り、ただ部屋でずっと寝てるとか、ご飯食べに来ないとか、そういうときは静かにそっとしておいて下さい。」
って言ってくれたの。
高校に進学することになって、一つ受かってキープしてたんだけど、そこで知り合った女に逆レイプをされました。
そのことが嫌で、別の高校にチェンジ、無事入学
いま眠剤回ってるから取りあえずこの辺で公開。
また何か書きたくなったら更新しに来るね。